インタビュー 由布市で暮らす人の声

2024年9月30日

昔ながらの温泉街の風景に一目惚れして、「湯平」に移住~変わらぬふるさとを後世に残したい思いから、アートでの地域おこしを提案~

interview with 渡邊まさみさん
移住前の住まい熊本県(熊本県出身)
移住後の住まい由布市湯布院町湯平地区
移住時期2014年10月
お名前渡邊まさみ(わたなべまさみ)さん・41歳
職業デザイナー・造形作家

〇由布市に移住のきっかけを教えてください

熊本市で子どもを産んだ後、自分の仕事柄、インターネットがあれば仕事ができる状況だったので、自分の愛娘をどこで育てようかとワクワクしながら考えていました。海より山派で、温泉が大好きだったのと身体が強くないので、いつか湯治場(とうじば:温泉に入ることを通じて病気の治療や健康の回復を図ることができる場所)に住んでみたいと思っていたのもあり、そこを重視して、実家の熊本市にも遠すぎないところで探し、九州の南阿蘇や霧島なども考えましたが、由布市湯布院町湯平地区の風景に「ここには未来に残したいものがある」と強く思い、移住を決めました。

 実は、以前仕事で湯平に来たことがあったのですが、その時から、湯平の昔ながらの温泉街のイメージそのものの景色に、強い印象が残っていました。イベントの美術仕事で、日本中様々な温泉行きましたが、観光地としての魅力がこんなにギュッと凝縮したまちはなかったのと、一年中赤提灯が灯っているという、ちょっと非日常的な空間の中にある暮らしにとても興味が湧きました。この空間性は何人かの有名監督の目にも留まり、『すずめの戸締まり』や『男はつらいよ』の舞台にもなった場所ですね。私の中でいくつものパズルが湯平にピッタリはまることになったんです。

その後、移住するために、温泉場の下の集落にある古民家を空き家バンクで借り、暮らし始めました。そこから娘の成長とともに、温泉街に移り、小さな古民家をリノベーションして、カフェを開きました。冬はとても寒く、雪が積もるので、1月~3月は休業することになります。正直、今の湯平温泉の客数だと飲食業だけでは食べていけないので、2足3足の草鞋を履く必要があります。ただ私は、幅広いデザインや制作業をしているので、むしろちょうど良いリズムでお客様を迎えたり、手が空いたらデスクワークしたりとバランスを取ることができました。コロナ禍と水害からの復興工事の影響でカフェは一旦休業していますが、今後また再開したいと思っています。

〇移住後に、こんなはずじゃなかったと思ったり、驚いたり困ったり心配するようなことはありましたか?

2020年に水害が起きたときに、ちょうど熊本に出張に行っていて、帰ってこられなくなったことです。近所の方から「どこにいるの~?」とすごい勢いで電話が来て、水害が起きたことを知りました。家の周囲は完全に通行止めになり帰れず、1週間後に荷物だけを取りに帰ったら、家の裏の渓流の美しい紅葉樹の林が跡形もなくなっていて、道は寸断されていました。私が好きだった風景を失ったことに、人生最大の喪失感を感じました。私たちは、美しくも厳しい自然の流れの中にいるのだと実感しました。

市民提案型プロジェクトに取り組んでいらっしゃいますが、そのきっかけについて教えてください

ここは、300年前にも大水害があって復興しています。ちょうど前回の1721年からほぼ300年後の2020年に水害が起きました。その復興で作られたのが湯平名物の石畳なのです。この災害からの復興も含め、次の300年後まで何ができるか、が問われていると感じました。

 そこで、ゆのひらアートサイトというプロジェクトを提案しました。活気を取り戻すには、まずはまちを歩く人を増やさなくてはいけません。まちの一角に常設のアート作品を設置したところ、注目を集めました。アンティークランプや古材を集めてつくったアートです。夜、点灯して、24時間おもてなししてくれます。直島などもそうなのですが、アート作品があるだけで、この地区の現状自体がメッセージになったり、考えてみる機会になります。

 プロジェクトでは、湯平の持続可能な未来を描くために、温泉だけでない魅力を発掘し、「ゆのひらを温泉と自然とアートのまちへ」ということを提唱しています。温泉地として800年続いて来た湯平ですが、災害で温泉が出なくなることもあり、温泉自体も流動的なものだと考えさせられました。災害に強いまちになるため、温泉だけに頼らないまちづくりが必要です。まずは、この3年間でまちの中にアート作品を12点常設設置し、人がまちを周遊できるようにしたいと思っています。その他、まちあるきマップを作ったり、石畳の細道を舞台にした市民参加型の芸術祭も開催して(10月6日開催予定)、市内外の人が参加型で湯平を楽しめる場を設けようと思っています。

 特に今年のテーマである「百奇夜行」では、仮面・仮装という五千年続いてきた風習や、湯平で行われてきた大衆演劇、昔から仮装行列もやっていた文化がありますし、石畳の環境はそういったパレードに最適だと感じていました。参加者が仮装で自分でないものになることで、それぞれが自分の中の何かを打開するきっかけにしたいと思っています。そういったハード面もソフト面も含めた事業を由布市にも提案し、市民提案型連携協働事業に採択されました。

 将来的には、陶芸や木工、竹細工職人、絵描き、現代アーティストなどのクリエーターが住み、アートビレッジや工房村のようになったらいいなと思っています。ここに来ればいろんなものづくりに出会えて、作家さんも静かに作りながらお店も開けるような場所です。クリエーターは体を酷使するので、そんな時に温泉寄り添ってくれるのはとても助かると思いますし、実際私も本当に助けられています。

今の日常的な一日について教えてください

朝6時半に起きて、娘をスクールバスで見送って、コーヒーを淹れて、日向ぼっこをしながら本を読んだりします。ちょうど、家(仮暮らし中のお店)の前に朝日が当たるので、とても気持ちがいいです。朝のこのひと時が一番四季を感じる瞬間ですね。

 一息ついたら洗濯などの家事をして、10時頃にはパソコンでデザインの仕事や制作仕事を開始。お昼は軽く食べて、夕方4時半頃までまた仕事をします。その後娘が帰ってきて、一緒に温泉に行って、夜7時頃夕ご飯になります。

デザインやアイデアに煮詰まったら、すぐに大自然が待ってるのも、私にとって最高の環境です。5分で大自然の秘密のスポットに行けちゃうんですから、この上ない贅沢です。だから日々ドライブしながらも隠れスポット探しに余念がありません。

 また、仕事柄私は創作活動を徹夜でやることもあるので、歩いてすぐに温泉に行けるのが本当にありがたいです。実は湯平地区は、湯平温泉以外にも、いろいろな温泉が車で30分程の距離にある奇跡の立地条件。しかも長湯温泉、筌の口温泉、由布院温泉、庄内温泉と個性豊かな名湯揃い!それぞれpH値や泉質、湯温が全然違うので、気温や体調に合わせてどの温泉に行くかを決めています。温泉で疲れを溜めずに、毎日リセットできるのがとてもよいです。個人的な体感として、自分の調子に合わせて、必要な温泉に入った方が体の調子が整うと感じています。風邪ひいているときにはカレーじゃなくておかゆだよね、というのと同じ感覚ですね。私は元々甲状腺疾患があり、身体が弱いので、温泉養生はとても大事な要素です。

〇地域の人とのやりとりで、印象的なことがあれば教えてください。

ここにいると自分がドラマの中にいるみたいだなと思うことがあります。挨拶はもちろん、通り過ぎたら「どうしてる?」「どこ行くの〜?」と聞きあうことが当たり前です。
移住前に住んでいた熊本市の中心部では、隣の人を知らないこともほとんどなので、なんだかとても安心感があります。またまちづくりのプロジェクトでは、地域の方から様々な意見が聞け、“みんな湯平を好きなんだな”、“守りたいんだな”、という気持ちが伝わってきます。

 最近、私がここに10年間いられたのは、 “このまちの人が好きだからなんだな”と、改めて気づいたんです。それくらい湯平は人情のまちだと思うんです。やっぱり寅さん的な世界観が息づいています。

 はじめは、地域のことを手伝いたいと思っても、見ず知らずのよそ者だったことから、境界があった気がしましたが、5年10年と、皆さんと一つひとつ協働していくことで、少しずつ理解してもらえるようになり、最近はデザインやアートの話が出ると「任せるよ」と言ってもらえるようにもなりました。責任重大すぎてひっくり返りそうになる気持ちもあります。

 今は観光協会の事務局長をやっていることに自分でも驚いていますし、ドタバタもしてるんですが、私のやってること、やってきたことを信頼してもらえたのかなと感じて、とても嬉しいですし、もっと頑張ろうと思えます。ただ、もちろん10年経ってもまだ玄関に立ったところだと思うところもたくさんあります。小さいことを積み上げていくことが大事で、それが自分にとってもこのまちで共に生きていく未来に繋がっていくと思っています。

 私には一つ大きな目標があり、いつか小さくとも環境と相互に贈与し合う社会というのを実現し、その感覚を体験したいと思っています。環境という枠には自然も人(社会)も含まれますが、その両面から私たちは常に様々な贈与を受け取っていると考えています。そして自分がそれにできるだけ気づき、返していくことをしていきたいと思うんです。

 例えば、このまちで心地よく暮らせる恩恵を、ただ受け取るだけでなく自分もそこに何かを返していく。より良くすることにエネルギーをかけてみる。そうしていると、まるでまちとキャッチボールを続けているような状態になりますよね。そして、どんどん良くなってくからどんどんその恩恵ももらえる。それってすごく充実した幸せな生き方だろうなって思うんです。現代社会では何かそこの循環がアンバランスな気がしているんです。見えない部分、お金ではない部分でも与え合う関係づくりができることにもっと価値を感じたい。本当の豊かさとは何か、ということを考えると、あまり多くのものは必要ないのかもしれないということを、この不便と言われる山奥の小さなまちにいて実感します。

 子どもの頃に、父とよくキャンプや渓流釣りに行っていたのですが、雨が降ったり、太陽が出たりするだけで、自然から与えられていることを感じることができましたし、それ以上に感動するものはなかなかなかったんですね。だから、この情報もモノも多すぎないシンプルな暮らしのまち、そしてまちの人たちと、私のこの夢ももしかしたら実現するかもしれないとワクワクしながら、一つ一つのことに向き合っています。

〇移住後に心境の変化はありましたか?どんな変化ですか?

実は、私はここに来るまで、故郷(ふるさと)の感覚がありませんでした。子どもの頃は、新興住宅地に住んでいたんですが、成長とともに大好きな裏山や周囲の山もどんどん切り崩され住宅になっていってしまい、『平成狸合戦ぽんぽこ』のような世界をリアルに体験していました。だから、今の実家に帰っても、昔と全く違う景色になっていて、空間的にはどうも落ち着かないです。そんなことがルーツにあるからか、大人になっても根無し草のように3年ごとくらいに引越しを繰り返すような暮らしが続きました。10年も住んだのは、この湯平が初めてです。積み上げることの大切さ、着地して根を張ることの安定感や心地よさも初めて体験して、すごく自分の芯も強くなっている体感もあります。ブレなくなった感じです。 
 さらに、ここは、愛娘の故郷(ふるさと)にしたいと決めたまちなので、初めて、“故郷を大事にしたい”という感覚感が生まれました。娘のために、このまちを後世に残したいという思いも、ここの復興を願う原動力になっています。未来は未知数ですが、娘とともにどんな距離感でも、このまちに一生関わっていきたいと思っています。不動産を購入したのはその決意の一つの表明でもありました。

 

 移住前は熊本市の中心部に暮らしていたので、こちらに移住したら買い物が不便だろうなと覚悟していたのですが、近くにお店がない分、劇的に無駄遣いが減りました。自分で1からなんでも作るようになって、料理の腕が上がり、色々と工夫する暮らしを楽しめています。もちろん、通販にも多大に助けられていますが、これは嬉しい誤算でした。今では、「不便」も私にとってはいいものだと心から言えるくらいになっています。

〇移住後の生活を一言でいうと?

「豊か」ですね。湯平地区は、商い人が多く、人間味があって、個性的でオープンです。面白い人に囲まれていて、人的にも豊かさを感じます。少数精鋭ですが 全員主役級また、大分県は自然豊かで、水も温泉も豊富です。その意味でも本当に豊かだと感じる生活を送れています。私の目指した通りですね。

〇移住を検討している人に体験いてほしい一日はどんな一日ですか?

大分県の自然を体験して、のびのびとした一日を過ごしてほしいです。この土地の水を飲んで、温泉に入って、この土地の自然をしっかり、ゆっくり感じてみてほしいです。

 そして、この石積みの迷宮のような湯平にぜひ迷い込みに来てください。
川の音、虫の音、風や匂いに、郷愁を感じてもらえるかもしれません。
私たちもそんな湯平に少しずつアートを寄り添わせながら、お待ちしています。


渡邉さんの立ち上げたゆのひらアートサイトプロジェクトの詳細は、以下URLをご参照ください。

https://www.yunohira-art-sight.com/

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