インタビュー 由布市で暮らす人の声

2025年2月19日

理想の暮らしを求めて移住~自分の人生をいかようにも変えていけるクリエイティブな生き方を満喫~

interview with 堀伸太さん・42歳、渚さん・41歳さん
移住前の住まい東京都(広島県・東京都出身)
移住後の住まい由布市庄内町
移住時期2015年9月
お名前堀伸太さん・42歳、渚さん・41歳、
なつめさん・10歳、緑太さん・7歳
職業庭師、Life&Landscape Designオモンパカル主催
(丁寧な暮らし方と暮らしの場のデザイン、暮らしをシフトさせたい方のサポート)

〇由布市の今の集落に住もうと決めたきっかけについて教えてください。

伸太さん: 

 僕は広島出身で、東京に憧れて、最初は東京のIT会社に就職しました。でも、自然を相手にする仕事がしたいと思うようになり、庭師に転職。その後、大分市の工務店に勤めていた友人のつてで、庭の設計担当として大分市に転勤。大分市に来てからの3年間で、価値観が変わり、由布市に引っ越してきました。

大分市での庭の設計の仕事の中で、“庭とはなんぞや”、”家とはなんぞや”、“暮らしとはなんぞや”を突き詰めていき、理想の暮らし方が見えてきました。社会を見た時に、”今の社会のスタンダードな形は何か違う”と、社会への疑問みたいなものが生まれ、“消費者という立場に依存せず、自然との調和のある状態がいい“と思うようになりました。また、この先10年20年を考えた時に、例えば子どもが生まれるなど人生で大事なことが起こった時に、勤め先に左右されず、自分軸で動ける状態でいたい、子どもができたら精一杯そこに時間を取りたいと思っていました。

そんな風に、どう生きたいか、どういう場所で生きたいか考えていた時に、別府から来た時にこの集落がぱっと開けて、雰囲気がいいなと感じたのが、一番初めです。この辺がいいなと思って車を止めて、集落の人に、「この周辺に住むところないですか」と聞いて、今の場所に行き着いたんです。家を建てたいと思っていたので、母屋がなく倉庫だけある土地だったのもちょうどよくて。また、自分の暮らしをもって世の中に対するアクションをしたいと思っていて。自分がこれからすることを発信したいとも思っていたので、この場所は、通りから何をやってるか、見えやすかったのもよかったんです。自然の暮らしを考えた時に、農村と森で迷ったんですが、森の中で1家族だけの暮らしっていうより、集落の人たちと関わりながら、コミュニティというか「結」とか、そういうつながりのある暮らしがいいなと思ったので、農村を選びました。

何もないのが逆に良かったんです。この地域は観光地でもなく、自然や田畑がいっぱいある。本当は何でもあるんです。観光地のように全然注目されてないのが、逆にいいなと思いました。自分のペースで生きられます。あとは、大分に来た当初はまた東京に戻る予定で、急に山に移住する路線変更だったので、家族のことを考えると、急に奥地に行くより、大分市の都市部にも車で30分圏内ぐらいでそんなに離れてないのも良いと思いました。

渚さん:

初めは、何もないところだなと感じました。ただ、大分市のマンションに住んでるのも、”田舎ではないし中途半端だな”、”東京と全然違うところに住んでみたい”とも思っていました。

なつめさん:

東京に比べるとめっちゃ涼しい。風通しがいいです。

〇今の日常的な一日について教えてください。

伸太さん:

 決まってないです。夏は5時くらい、冬は6時ぐらいでないと明るくならないので、そのくらいに起きます。起きて子どもの気分でその日が決まる感じです。

僕は、現代の子どもの過ごし方について、その子その子により、もっといろんな過ごし方があっていいんじゃないかと思っています。いわゆる学校という選択肢だけにとらわれず、子どもがその1日1日を、その子なりに有意義に過ごして欲しい。自分の今の立ち位置としては、それに添う事・サポートする事が今は第一で、計画を立てたりする時もあるけど、それがその日の気分によっても流動的になることもあるような感じです。野良仕事などもありますが、起きて子どものしたいことでその日が決まります。野菜までは自給できてないですが、米作りは1年食べる分は作りたいので、いつまでに草取りしなきゃいけないなどもありますが、基本は、子どもに合わせています。農作業は子どもと一緒にできる作業は一緒にしたり、子どもが、自分が関わらなくても別のことで有意義に過ごしてるタイミングでやっています。子どものこと以外は大分弁で言う、「できしこ(できたなりの意味)」です。

引っ越したばかりの時は、家を自分でつくっていたので、子どもの時間を大切にしながら、少しずつ作業を進めていました。4年かかって家が完成しました。今は、アースバックハウスという土袋を重ねて作る家を子供部屋用につくっています。

渚さん:

子ども中心の生活で、たまに自分が行きたいヨガなどに行く感じです。子どものアトリエやダンス教室などの送迎があります。

うちは、子どもがいわゆる公立の学校に毎日通っているわけではないので、朝が遅いです。みんな起きる時間がバラバラなんですよ。お父さんは早く起きて草刈りとかしていて、あとで3人が起きる。大体7時ぐらいかな。夜寝るのは、息子は21時には電池切れで、娘は22時くらいかな。最近は私も一緒に寝てしまいます。

ご飯の時間もそんなに決まってないです。みんないる時は一緒に食べ、私とかお父さんとかだけだったら適当に済ませます。

〇地域の人とのやりとりで、印象的なことがあれば教えてください。

伸太さん:

どこも同じような状況ですが、人手が少なくなっているので、協力しないと農地の維持ができないんです。この集落に限って言えば、結構水路が特殊で、300年ぐらい前(江戸時代)に山奥から掘られた洞窟みたいな水路をみんなで管理しているんです。

近年は水害が多いので、結構大変な作業をみんなで力を合わせてやっている状況です。水路の崩れたところを補修したり、土砂が埋まってしまったところを掘り出したりする必要があります。その水がないと米作りができないので、重要です。基本は年に1回大きい補修があるんですが、近年は台風とか水害とかで多くなっています。この間の台風の時は、2週間ぐらい毎日みんなで朝8時から3時4時ぐらいまでやっていました。

地域の人もいろんな人がいて、自分の先生みたいな生き方している自給自足のおばあちゃんもいるし、農法の考え方が全然違う人もいます。でも、“和”というか“調和”というか、自分の理想とは違っても、“誠実に”、“調和を”、というのは、最初からとても意識していました。自分の理想や哲学など思想的な話を地域の人にすると、「変わっとるな」という反応ですが、受け入れてくれています。農薬散布も、最初は「すいません、うちのところはやらないでもらえますか」って伝えていたんですが、今では、「堀さんとこはいいんやろな」みたいな感じで、僕がこうしたいというのを理解してくれています。温かい目で見てもらっている感じです。

渚さん:

上の方に住んでいるおばあちゃんには、野菜をもらったり、卵をもらったり、肉をもらったりいろいろともらっています。子どももかわいがってくれてありがたいです。私はあんまりお手伝いができないけど、お父さんが農作業を手伝ってお返ししています。

また、地域にちょうど下の子と同じ年の男の子が二人いて、一緒に遊んだりできているのが良かったです。もう少し子どもが増えて、親同士が交代で面倒を見るなど学童のような場所があるといいなと思います。

 

〇移住後に心境の変化はありましたか?どんな変化ですか?

伸太さん:

 実感が一番強かったのは、集落の人たちと持ちつ持たれつで生きる関係みたいなものによる繋がりができた心強さ、安心感です。それはつまり、所有物がどれだけあるかっていうより共有物がたくさんあるという感覚で、その方が安心感があるということを実感できたのが、移住して一番良かったことだと思います。

その感覚は、集落での作業を通しても感じるし、余っているものをちょっともらったり、こちらができることで返して感謝されたりとかそういったやり取りの中で感じます。いろいろあっても、誰かが困ったら「しゃーねーなー、やったろうや」みたいなことはよく目の当たりにするし、何かあったら助け合うとか助けてくれるという、空気、文化があると感じます。その関係を築くのには3年ぐらいかかりました。そのためには、誠実に人と接して、誠実に生きる、暮らすことが一番大事だと思います。

また、手仕事とか、暮らしにその必要なことをずっとしていると、いろんなことができるようになるんです。“生きる人間力”が上がるっていうのは田舎暮らしの良さだと思います。都会では、お金を稼いでお金を使って、お金のやりとりでその生活を成り立たせていますが、田舎暮らしは、そうじゃなくても生きられる。月並みな言葉だけど、お金じゃない。生きることに直結するような人間関係だったり、その人間力だったりっていうのが蓄積できるのが、実感としてあります。

渚さん:

私は、ここに馴染むのに時間がかかったんですが、今は、このゆったりした感じに慣れた感じです。私はもともと都会と田舎のバランスを取りたかったんです。こちらに越してきた時は、都会に出たかったんですが、今は都会に出たいとは思わなくなりました。今は、子どもの姿をみて、この場所はいいな、と思います。都会の子は勉強など忙しくて大変だな、と思います。

〇移住後に、こんなはずじゃなかったと思ったり、驚いたり困ったり心配するようなことはありましたか?

伸太さん:

 自分たちが大事にしていることと、地域の方々が進もうとしている方向が、少し違う部分はありました。それに対して物申したりすることもありましたが、色々なやりとりを経て、今は自分の中でも折り合いがついたというか、違いを認め合いながらも、うまく調和していきたいという思いでいます。

渚さん:

越してきてから、湧き水があるところは羨ましいな、と思いました。

伸太さん:

確かに、いま場所を探すとしたら湧き水あるところにしたいです。この集落は地層の関係で井戸がなく、粘土質の土で作物はおいしいけど湧き水がないんです。

(注:同じ地域では湧き水が豊富なところもあります。)

〇移住後の生活を一言でいうと?

伸太さん:

クリエイティブ。いかようにでも人生を自分で作れる。余白がある。

満足と挑戦:後悔ゼロ。

渚さん:

のんびり。いい意味で情報から遮断される都会で無理している人に、無理しなくていいんだよ、と伝えたい。都会の人は同調圧力で無意識に無理していると感じます。ここは、同調圧力から逃れられます。

〇移住を検討している人に体験してほしい一日はどんな一日ですか?

伸太さん:

例えば、そこに住むおばあちゃんの一日を一緒に過ごしてほしいです。考え方、生き方自体を体験してほしい。僕自身、そういった生活からとても大事なことを教わっています。そしてやっぱり、自然を感じてほしいです。土に触れる、風を感じる、川に足をつける、いろんな生き物の気配を感じる。そうすることで、自分がどんな気持ちになるか、感覚になるか、体験してほしいです。

渚さん:

観光より、野菜作っている人、田んぼ作っている人の生活を見てほしいです。おおつる交流センターでおいちゃん達の作るうどんを食べたり、移住者から話を聞くとか。家をセルフビルドしたいなどあったらうちに来てもらってもいいと思います。夜温泉に行くのはいいと思います。


 オモンパカルのHPはこちら

https://www.omopaka.com/

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